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ツイブロ

求人広告のライターが、ブラック労働や就活、人材業界周辺のことなど、日常のあれこれをツイーっと書き込んでいるブログです。心に残るヘリクツをお届けします。

障害者に「1」気遣うために、周囲の健常者に「10」気遣わなくてはいけない。

考え方 考え方-生活

念のため前置きしておくと、これは非常にバカげた話だ。
そして、僕はゆずった方が良いと
考えている派であることも、まず最初に主張しておく。

でも、実際にそういうシチュエーションに遭遇したら、僕はたぶんゆずらないだろうなと思う。別に車いすの人に嫌がらせしたいわけじゃない。本気でゆずった方が良いと思っている。

でも、単純に周りの健常者たちが怖いのだ。

というのも、僕一人がエレベーターから降りたとしても、車いす一人ぶんのスペースにはならない。あと最低でも一人か二人くらい降りてもらわないと、車いすはエレベーターに収まらないだろう。

もう何となく想像がつくかもしれないが、僕が降りたことによって、残りの人たちに「誰か降りて」というプレッシャーを与えることになってしまう。世の中みんなが僕の行動に賛同してくれるなら良いけど、そうじゃない人も世の中には一定数いて、しかもその手の人には、ややこしい人が多いんじゃないかという恐れがある。

これってよく激論になる、妊婦さんとかベビーカー問題にも共通しているのかなと思う。

こういった人たちに気遣うためには、時として自分一人だけじゃなくて、その場のみんなが自分の時間を差し出さなくてはいけないシチュエーションが多々ある。

さっきのエレベーターの例で言えば、僕の他に数人が降りて車いすの人が安全に乗り込むまで、残された人たちは満員の不快な状況でじっと待つことになる。

自分が障碍者の人にゆずりたいと思う自由があるように、急ぎたい自由もある。本当はそんなくだらない自由なんてないのかもしれないが、表だって否定は難しい空気があることは確かだ。

いやいや、そんなことない。勇気を出せよって思った人は、想像してみて欲しい。満員電車で通勤中に、病人が出たためしばらく電車が動かなくなったときのこと。社内のあちこちで「チッ」って舌打ちする音が聞こえてくるはずだ。酷い人になると独り言で愚痴ってたりもする。その人たちの顔を見て欲しい。自分が何かの店員だったとしたら、非常に対応したくない類の方々なのだ。

僕のように、本当はもっと親切にしたい。でも勇気がなくてできない。そんな人は世の中に案外多いのかもしれない。


最後に記事中にあった問いに答えよう。

ひとつ、気になることがあります。中にいる人、特に私から目を逸らした人たちは、あの瞬間、なにを思ったのでしょう?うしろめたさ?申し訳なさ?

 
僕は、行動できない自分に対する情けなさだと思う。