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ツイブロ

求人広告のライターが、ブラック労働や就活、人材業界周辺のことなど、日常のあれこれをツイーっと書き込んでいるブログです。心に残るヘリクツをお届けします。

夏休みの工作を手伝う親は「強くてニューゲーム」がしたいだけ。

考え方 考え方-生活

子どもの読書感想文や自由研究を親がやることについて

書かれていることの真偽はともかく、
こういう親っているよねってのは分かる。

僕はアラサーだけど、
その時代ですら異様に完成度の高い夏休みの成果物は散見された。

僕が強烈に印象に残っている出来事がある。

ある夏休み。

工作の宿題で、僕は貯金箱を作った。
怪獣の形をした紙粘土の貯金箱だ。

父親に教えてもらいながら、
恐竜のぬいぐるみで型をとって一生懸命作った。

いま思えば、うちの親が偉かったのは、
やり方を教えるだけで、作業の大半は僕にやらせたことだと思う。

苦労して形を作って、絵の具で彩色。
最後にニスも塗った。
大変だったけど、僕なりにまぁまぁの出来栄えだと思っていた。

休み明け。

自信をもって僕は登校した。

みんなの作品が工作室に並べられる。

ショックだった。

僕の作品はとてもクオリティが低かった。

たしかに、手作りにしてはよくできている。
大人になったいまでもその感想は変わらない。

でも、僕がショックを受けたのは、ディアゴスティーニとかでありそうな、木製の骨組みを再現した恐竜の模型を持ってきている子が数名いたこと。

既製品を提出して終わりなんてアホかと思うが、子ども心にやられた!と思った(当たり前なんだけど)あの完成度はすごい。なんて綺麗に作れるんだと思った。当時は、それが売り物だと知らなかったのだ。

で、悪いことに、そういう作品を先生はほめた。
(いまなら、ほめた理由にも納得できる)

ただ、子供にはその複雑な事情は理解できないので、ひどく落ち込んだ。

後日、ホームセンターでその恐竜が買えることが分かったときに、ものすごく腹が立った。

子どもの思考って凄いなと思うけど、あの苦労は無駄だった、みたいなことを思った記憶がある。

いま思えばあの工作が、過程より結果で評価されるという世間の厳しさを初めて味わった出来事だと思う(実際は違うのだが、子どもの視点からはそう見えた)。

ただ一方で、評価は結果によってなされるが、成長は過程によってしかなし得ないということも、実感をともなって学んでいたのかもしれない(もちろん、当時は気付けなかったけれど)。

子どもの工作に、大人のやり口(既製品を買って楽する。大人の実力で作りこまれた完璧なDIY作品を持ち込む)で手出しするのは、どこまでいっても大人の自己満足なのだろうなと思う。

それは、大人が当時のタラレバを実現するための「強くてニューゲーム」行為であり、消化試合であり、時間の無駄でしかない。

そんな茶番をやるくらいなら、いまから千羽鶴でもせっせと作って提出した方が、よほど先生の受けも良いし、格好もつくだろう。

なーんてことを、同じようにクソったれな大人になった僕は、いま思う。