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ツイブロ

求人広告のライターが、ブラック労働や就活、人材業界周辺のことなど、日常のあれこれをツイーっと書き込んでいるブログです。心に残るヘリクツをお届けします。

誰が書いた記事か、なんてこと、昔は気にしてなかった。

サブカル サブカル-ブログ

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侍魂に吉野家......一世風靡したテキストサイト管理人の今を調べた - Yahoo!検索ガイド - Yahoo! JAPAN

 
なつかしー。中高生の頃みてたなぁ。
オタク友達で集まって、吉野家コピペとか先行者を見て爆笑してた記憶があります。

ただ、他の方の記事に対するコメントを見て、ものすごい違和感を覚えました。というよりハッとさせられました。

正確にいうと、コメントしている人たちに対してじゃなく、当時の自分自身の感覚に対してなんですけどね。

記事でも、コメントでも、管理人さんの存在が当たり前のように書かれているのだけど、当時の僕は、管理人のことなんて意識してWebサイトを見てなかったなぁと気付いたんです(だから、元ネタはかなり知っていたのに、管理人の顔はもちろん、サイト名やハンドルネームすら今回初めて知りました)。

当時の僕からしてみれば、
ネットを開けば、ただそこに笑えるネタがあった。
いじれるネタがあった。
それだけなんですね。

こんな面白いことをやる管理人ってどんな人だろう?なーんて発想は微塵もなかったです。興味がなかったというよりも、記事の裏っかわに生身の人間がいることなんて、まったく意識してませんでした。

いまだったら、即プロフィール欄を確認してしまうでしょうね。妙な話だけど、書き手が何者か確認して初めて、記事の良し悪しというか、面白いか面白くないかを判断できる気がするんです。

この感覚、本当にモヤモヤするのですが、覆面で記事だけ見せられても、文章が上手いか下手か、しか判断がつかない感じがするんですね。コンテンツとしての面白さ(価値)は半分も判断つかないんじゃないでしょうか。

近ごろは、その人が何者か理解する(芸風やキャラクターを理解する)ことで、面白くなるコンテンツが非常に多い気がしています。女子大生とか高知県在住のフリーランスとか色んな方がいますよね。もっと平凡なところで言えば、肩書に大手企業とか上場企業とか社長って書いてあるだけでも、記事のコンテンツ性がぐっと高まる印象を受けます。

当時、コンテンツだけを純粋に楽しんでいたあの感覚って、何だったんだろうなぁ。

いま僕の目の前に当時の自分がいたら、小1時間問い詰めたい。