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ツイブロ

求人広告のライターが、ブラック労働や就活、人材業界周辺のことなど、日常のあれこれをツイーっと書き込んでいるブログです。心に残るヘリクツをお届けします。

土葬する村。

日常 日常-ネタ

今週のお題「好きな街」 

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幼い頃、長野の山奥にある遠い親戚の葬式に参加した。

 

山を切り開いた斜面に平屋と畑が点在する未開の地。テレビは、、、当時NHKくらいしか映ってなかったんじゃないかな。

 

記憶はひどく断片的で、親戚の家に着いた当夜は、親族が大勢あつまって食事をした記憶がある。蚕だったか蜂の子だったかが出た。驚きすぎて、ほかに食卓に並んだものは覚えていない。

 

親族が一堂に会する賑やかさと葬式なのであまり盛り上がってはいけないという、いま思えば大人ならではの複雑な事情が織り交ざった不思議な食事会である。

 

見慣れない食べ物ばかりだったこともあるけれど、その場の異様な雰囲気にのまれてしまい、子どもながらに所在なさを味わった。

 

風呂は五右衛門風呂だった。いまとなっては確かめようもないが、まさか薪で焚いていたのだろうか。あと、トイレが家の外にあり、いくのが怖かった。街中と違って本当に真っ暗なので、懐中電灯をもってトイレにいった記憶がある。

 

虫も多かった。大きな蜘蛛がいたり、それこそ図鑑でしか見たことがないような虫をあちこちで見た。いまなら逃げだしてるだろうな。子どもの頃のぼくは偉い。よく我慢した。

 

寝るときに蚊帳を使ったのは、人生でただ一度きり。この一夜だけだ。

 

ここまででも随分と衝撃的な体験なのだけど、これは前夜祭のようなもので。

 

葬式の当日は、それはそれは異様だった。

 

木製の棺桶に寝かされた老婆に、各々がお別れをしていく。ぼくは顔を見なかった。いや、見たかもしれないが覚えていない。始めての対面が死顔というのも、いま思えば恐ろしい。

 

皆の別れがすむと、その棺桶を若い衆が数名がかりでかつぎあげた。

 

家を出て、斜面をくだる。

山間の道を、まっすぐまっすぐ歩いていく。

 

参列者も棺桶を担ぐ若い衆のあとについていく。喪服を着た黒い集団が列をなしている。異様な光景だ。

 

左右の斜面には同じように平屋と畑が広がっている。

一本道を延々と歩く。まっすぐ。まっすぐ。黙って歩いた。

 

しばらくいくと、大人たちが斜面をあがっていく。ひたすら階段が続く道。棺桶を担ぐのは大変そうで、何度か若い衆が交代していた。そのたびに立ち往生するので、行列も停滞する。

 

途中から階段の左右に墓が現れ始めた。子どもながらに、これから何がおこなわれるのか実感する。お墓に死んだ人をいれるのだ。

 

それからさらに階段を上り続けて、ようやく頂上についた。お堂のようなところで、お坊さんが経を読む。いつも実家で聞いていたものより長い。

 

退屈だし、異様な重苦しい雰囲気がいやで、はやく帰りたいとずっと思っていた。蝶々がいないかキョロキョロしていたら、母に叱られた。

 

長い経が終わった。

お堂を出て斜面の一画にいくと穴があった。

大人たちが穴を掘っている。

 

穴を掘るのが経の終わりに間に合わなかったようで、しばらく参列者は待機する。土が固くてなかなか作業が進まないようだった。

 

木陰でカナブンを捕まえて遊んでいたら、両親に呼ばれた。戻ると穴は大きくなっていた。落とし穴が作れるくらいの大きさだ、と思った。

 

棺桶を担いだ若い衆たちがやってくる。ゆっくりと棺桶が穴に横たえられた。土をかける。なぜかぼくも参加させられた。骨を拾う代わりのような儀式だったのだろう。

 

あんなに苦労して掘った穴はあっという間にふさがっていく。盛り上がった土には墓標が建てられた。埋められた人に突き刺さっているようで恐ろしい。

 

ぼくの記憶はここで断絶している。その後、民宿のような場所に泊まり、翌朝家に帰ったはずなのだが、土葬の後の一切の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。

 

中学生や高校生になって、片田舎が舞台の映画を見たり、小説を読んだりすると、幼い頃のことを思い出した。

 

ふつうの人は八つ墓村のような作品を恐ろしいと感じるのかもしれないけれど、ぼくには懐かしいという感情もある。同時に、その手の作品に対して、妙な執着があることも自覚している。

 

棺桶を担ぐ男たちの姿。

長い階段。

棺桶に土をかける感触。

突き刺さる墓標。

 

現実にあったはずなのに、現実じゃなかったかのような感覚。

 

長野から帰ったあと、間もなく火葬も体験したが、土葬のときほどの鮮明な記憶は残っていない。死んだのは祖母で、しかも火葬場で人骨を間近に見たはずなのに。

 

土葬はたぶん、幼過ぎたぼくにとっては麻薬のように強烈な体験だったのだろう。ある種トラウマでもあるし、できることならもう一度行ってみたい、憧れの異世界でもある。