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ツイブロ

求人広告のライターが、ブラック労働や就活、人材業界周辺のことなど、日常のあれこれをツイーっと書き込んでいるブログです。心に残るヘリクツをお届けします。

ブログの向こうに、誰かいる。最初はいなかったのに。

サブカル サブカル-ブログ

今週のお題「私がブログを書く理由」 

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友達と会って話す。

 

Aさんとは、仕事の話題。

Bさんとは、テレビの話題。

Cさんとは、おいしい店の話題。

Dさんとは、とりとめもない雑談。

 

相手によって話す内容が変わる。

 

会う相手を決めた時点で、話す話題はある程度決まっているといってもいい。話が弾むのは、自分と相手の興味の重なった部分だ。

 

「誰々に会いたい」とは、言い換えれば「何々の話がしたい」なのかもしれない。完全に無意識だが、誰かを誘うときにはそんな計算がたぶん働いている。

 

だからこそ、今日はAさんとは話したいが、Bさんとはそんなに話したくない、といった感覚を覚えることがあるのだろう。

 

対して、ブログには何を書いてもいい。

 

いつでも、どこでも、思いついたときに思いついたことを書いていい。

 

書けば誰かに届く。興味のある誰かが、ぼくの書いた文章を読んでくれる。気が向いたときには、何かしらのコメントも届く。

 

改めて、ブログには書き手と読み手をつなげる力がある。

 

ただし。

 

こんなことを考えられるようになったのは、ブログを書き続けて一定のアクセスを得られるようになったからだ。

 

いまでは、どんな記事を書いてもまったく読まれない、というケースは皆無になったと言って良い。ブログを更新すれば、間もなくYAHOO!やGoogle経由で、ぽつりぽつりとアクセスがある。

 

もちろん、記事によって頻繁に来訪のあるものもあれば、1ヶ月に1人しか読まないような記事もあるけど、まぁとにかくゼロではない。誰かにつながって、ちゃんと言葉が届いている。

 

ブログを始めたばかりの頃、ブログは穴だった。

一方的に言葉を投げ入れるだけの場所。

わーっと叫んでも、言葉は誰にも届くことがなかった。

 

王様の耳はロバの耳、というお話があるけれど、まさにあんな感じだった。

現実で話せないことをわーっと叫んでいたようなところがあった。

 

正直言って、いまは、穴に向かって叫んでいる感覚を失いつつある。

誰かに読まれることを前提に書いてしまっている。叫びではなくなった。

 

ブログで炎上している人たちは、たくさんの人に読まれるようになっても、それでも変わらずに叫び続けている人たちなんだろうな。

 

まぁどっちが正解ってわけでもなくて。

どっちも楽しいと思っている。

 

ブログほど、誰に向けて書くのかが曖昧な文章はない。

地図のない道を歩いてる感じがいい。仕事ではありえない感覚だ。

 

昔の記事をリライトしようとして古い記事を読んだときに、ふとそんなことを思った。